京都にちなむ七夕いろいろ
かつての宮中では雅びやかに七夕の行事が行われた京都では、仙台の七夕に代表されるような華やかな七夕祭りはみられません。7月の京都といえば、日本三大祭りとして名高い祇園祭一色に染まってしまうからかもしれませんね。
では、華やかなお祭りは各地におまかせして、昔をしのばせる京都にちなむ七夕の行事をご紹介しましょう。
相撲節会(すまいのせちえ)
知っていますか。平安時代までは、相撲も七夕の行事だったのです。
かつて宮中では毎年7月にいわゆる天覧相撲である相撲節会が行われていました。もとは7月7日であったものが、天長3年(824)には7月16日に、やがて7月25日にと日にちが移り変わり、やがて源平争乱の中で途絶えていったということで、残念ながら現代には伝わっていません。
七夕立花会(たなばたりっかえ)
桃の節句、菊の節句というように、季節の移り変わりをめでる節句の行事は花と深くかかわっています。なかでも七夕には、牽牛・織女へ花を供えることから、これがいけばなの発展につながってきたともいわれます。
室町幕府の時代には、七夕法楽として将軍家や公家の間で花合せがさかんに催されるようになりました。年中行事化した生け花は、その後も広く普及をつづけたのです。
今でも多くの華道では、七夕の花は特別な意味をもっています。
御手洗祭(みたらしまつり)
菅原道真公ゆかりの京都、北野天満宮では、道真が七夕に歌を詠んだことにちなんで、この日は文芸上達を願う祭りとされています。神前には道真遺愛の硯・水差し・角盥(つのだらい)を並べ、その左右には短冊代わりの梶の葉、なす、きゅうり、みたらし団子などを供えてお祭りをおこないます。御手洗祭というのは、御手洗池に手足をつけてけがれをはらう、昔の節句の行事に由来しているようです。
恋愛成就のお祭り
七夕伝説は、天の牽牛・織女が年に一度会うことができる恋の物語。この説話にちなんで京都、東山の地主(じしゅ)神社では、この日恋愛成就の祭典がおこなわれます。七夕笹に互いの名前を記した一対のこけしを吊るして奉納すると、思いがかなうのだとか。
乞巧奠(きこうでん)
中国から伝わった宮中の行事、乞巧奠。京都では、いまも公家の流れをくむ冷泉家で受け継がれています。
旧暦7月7日というと、現在では8月の末ごろ、冷泉家では七夕の歌会、乞巧奠がとりおこなわれます。
供え物をして牽牛・織女をまつり、芸事の上達を祈るとともに、管弦の奏楽、冷泉流による和歌の朗詠がおこなわれ、天の川に見立てた白い布をはさんで七夕の歌を贈答する古式ゆかしい行事がおこなわれます。
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